1980年代の日本のロックシーンに衝撃を与えたBOØWY (ボウイ)。
その音楽は後に、ビートバンドと呼ばれる多くのアーティストに影響を残しました。
2000年代に入ってもベストアルバム、ライヴアルバムなどリリースされ、今もなおその人気は衰える事がありません。
リアルタイムでBOØWYを知らない世代にも、ルーツ的な存在感を示しています。
そんな偉大な功績を残したBOØWYのメンバーの魅力を余すこと無く紹介してみたいと思います。
氷室 京介 (ヴォーカル)
名前:氷室 京介 (ひむろ きょうすけ)
愛称:ヒムロック
担当:ヴォーカル
生年月日:1960年10月7日 群馬県出身
言わずと知れたBOØWYのフロントマン。
その精悍なルックスと自在な歌唱力でBOØWYの顔と言ってもいいでしょう。
ベース担当の松井常松とは同じ群馬県出身で、小・中学校と同級生でした。
その頃からビートルズなどのロックが好きで、一緒にバンドを組んでいました。
そのバンドには故・山田かまち氏も参加していました。
山田かまちは17歳の若さで他界し、その死後彼の書いた詩やデッサン、水彩画などが注目を集めた人物です。
そして、デビュー前の氷室京介に影響を与えた人物としても知られています。
BOØWY時代は、ギターの布袋寅泰と共に躍動するステージを見せてくれました。
今の日本のロックパフォーマンスのお手本になる程でした。
BOØWY解散の理由にこの2人の不仲説がありますが、今ではそれには否定的な意見が多いですね。
30年近くも前の話ですし、時間の流れと共に考えや価値観も変わりますからね。
それよりもやはり、BOØWYの楽曲自体が変わらずに輝きを放っていることの方が、重要で素晴らしいです。
BOØWY解散後はソロアーティストとして活動し、2011年の東日本大震災の時には復興支援のチャリティライヴを行いました。
ライヴの曲目を全部BOØWYの楽曲で行うという発言があったため、BOØWYのファンは「再結成か?」と期待した事もありましたが、実現には至りませんでした。
その後、氷室京介は両耳の難聴を発症し、2016年にライヴ活動無期限休止の状態に入ります。
その一旦、最後となるライヴに布袋寅泰をはじめ、メンバーはコメントを寄せ氷室京介の偉大な功績を讃えました。
布袋 寅泰 (ギター・ヴォーカル)
名前:布袋 寅泰 (ほてい ともやす)
担当:ギター・ヴォーカル
生年月日:1962年2月1日 群馬県出身
BOØWYの人気をヴォーカルの氷室京介と二分するギタリストです。
高身長でスリムなスタイル、踊るようなステップで華麗にギターを弾くスタイルは華があります。
最も見栄えのするギタリストでしょう。
ギターテクニックも群を抜いており、まさに日本を代表するギタリストです。
同じ群馬出身の氷室京介に誘われてBOØWYに参加。
初期のパンク的なサウンドからプレイをし、アルバムを発表するごとに徐々にそのサウンド自体を作りあげていく役割を担っていきます。
プロデューサーとしてもその才能を発揮していきます。
あまりメディア慣れしていない氷室京介に代わって、バンドの宣伝など社交的に行ったとも言われています。
BOØWY解散後は、ギタリストとしてはもちろんのことソロアーティストとしても活躍し、1988年12月には吉川晃司とCOMPLEXを結成。
ツアーも行い、また一躍注目を集めました。
氷室京介と同じく2011年の東日本大震災時には復興支援ライヴを行いました。
この時も布袋寅泰と氷室京介のBOØWY解散後の「二人の共演」が期待されましたが、実現はしませんでした。
氷室京介の活動休止前のラストツアーの際は、布袋寅泰も最後に一緒にプレイしたい旨を告げ、2人の不仲説は否定された形になりました。
松井 常松 (ベース)
名前:松井 常松 (まつい つねまつ)
担当:ベース
生年月日:1960年9月8日 群馬県出身
BOØWYのまさに職人といった感じのベーシスト。
ステージを縦横無尽に動くヴォーカルの氷室京介や、ステップを踏みながらプレイする布袋寅泰らとは反対に、微動だにせず黙々とプレイするスタイルはファンの間でも有名です。
常にダウンピッキングという演奏方法で、正確なリズムを刻みます。
前述のように氷室京介とは小・中学校と同級生で古くからの信頼関係がありました。
ステージでは、そんな松井常松のことを氷室京介は「渋い男です。」と紹介する場面もありました。
BOØWY解散後はマイペースで活動を行っており、他のメンバーのレコーディングやツアーに参加したりして、交流が多くあります。
高橋 まこと (ドラム)
名前:高橋 まこと (たかはし まこと)
担当:ドラム
生年月日:1954年1月6日 福島県出身
Mr.8ビートと呼ばれたBOØWYサウンドの重要なリズム担当。
タイトで無駄のないドラム。
BOØWYの楽曲に躍動感とうねりを与えています。
トレードマークのサングラスは、ギターの布袋寅泰から勧められたのがきっかけだったそうです。
BOØWYには唯一オーデションで参加したメンバーですが、それも形だけで他の3人はすでに高橋まことで確定していたらしいです。
BOØWY解散後は元ALLERGY(当時ポジティブパンクと呼ばれたバンド)の宙也とDe-LAXというバンドを結成したり、最近では元KATZEの中村 篤とライヴを行ったりして、ドラマーとして多岐にわたって活躍しています。
まとめ
結成当初6人編成だったBOØWY。
その後、変遷を経てこの4人で活動をしていくことになります。
そして日本のロックシーンにおいて、伝説のバンドと呼ばれるようになったのです。
後にも先にもBOØWYの様なバンドは現れないでしょう。
その時代をも巻き込んだ圧倒的なサウンドは、この4人でなければ成し得なかったのです。
解散理由など今でも色々な憶測がささやかれ議論されますが、それよりもBOØWYが生み出した楽曲、ムーヴメントは確かに今の時代に残されていて影響を与え続けています。
解散後、30年近く経った今もなお色褪せることのないこの4人の演奏をぜひ聴いてみてください。
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