1990年代に絶大な人気を誇ったTHE YELLOW MONKEY。
惜しまれつつも2004年に解散しましたが、2016年に再結成を果たしました。
再結成後も変わらぬ人気を誇り、新たなファンを獲得し続けるTHE YELLOW MONKEY。
ボーカル・吉井和哉、ギター・菊地英昭、ベース・廣瀬洋一、ドラムス・菊地英二というメンバーは4人ともそれぞれが個性的かつ魅力的なキャラクターを持っているのです。
今回はそんなTHE YELLOW MONKEYのメンバーのプロフィールをご紹介したいと思います。
THE YELLOW MONKEY
バンド名の由来はボーカル・吉井和哉が「ダサくてシニカルな名前にしたい」と考え、自身のイニシャルであるYから始まる単語を辞書で探して考案されました。
「イエローモンキー」とは東洋人に対しての蔑称であり、吉井は「洋楽へのコンプレックスがあった」と語っています。
また、「ルックスが良くて長身」をコンセプトとし、メンバー4人ともが長身でスリムな体型であることも特徴です。
吉井和哉 (ボーカル、ギター)
愛称・呼び方:LOVIN (ロビン)
担当:ボーカル、ギター
生年月日:1966年10月8日
出身地:東京都北区
血液型:A型
影響を受けたアーティスト:デヴィッド・ボウイ
ボーカル、ギターのみでなく作詞、作曲、プロデュースも担当するバンドの中心人物。
LOVINというステージネームは10代の頃に所属していたメンバーに「アメリカのメタルバンド・ラットのロビン・クロスビーに似ている」ということで付けられました。
ジャパメタバンド・URGH POLICE(アーグポリス)のベーシストとして活動していましたが、
脱退後自らが中心となり1988年にTHE YELLOW MONKEYを結成。
当初はベースを担当していました。
バンド解散前の2003年よりYOSHII LOVINSON名義でソロ活動を開始。
2006年からは本名の吉井和哉名義で音源リリース、ライブツアーなど精力的に活動中。
かなりのオーディオマニアであり、自宅には数百万円以上かけたオーディオシステムが組まれています。また、バス釣りも趣味でありテレビ番組の釣り企画にも出演するほど。
現在のスリムな体型とは違って幼少期は肥満児であり、ある日母と祖母が「あの子は勉強も出来なくて何も取り柄がないから相撲部屋に入れるしかない」と話しているのを聞いてダイエットを決意したそうです。
デビュー当時に一般女性と結婚し、一男三女をもうけるが離婚。
2015年にタレントの真鍋かをりと結婚。同年10月に第一子が誕生しました。
菊地英昭 (ギター)
愛称・呼び方:EMMA (エマ)
担当:ギター
生年月日:1964年12月7日
出身地:東京都日野市
血液型:O型
影響を受けたアーティスト:ジョー・ペリー(エアロスミス)
ギターを始めたきっかけはエアロスミスのジョー・ペリーに憧れて。
アルバム曲では単独、もしくは吉井と共同で作曲も担当しています。
EMMAというステージネームは「少しエッチで中世的な名前にしよう」という理由で映画・エマニエル夫人から取って付けられました。
1986年、実弟であるドラムス・菊地英二と共にバンド・KILLER MAYでデビューするが1989年に解散。
その後、先にTHE YELLOW MONKEYに加入していた実弟に誘われて加入しました。
バンド解散後は主に吉川晃司のサポートギタリストとして活動し、吉井和哉のソロ作品にもサポートギタリストとして参加しています。
2008年にはインディーズレーベル・Brainchild’s Musicを設立し、プロジェクト・brainchild’sをスタート。様々なアーティストとコラボレーションし音源リリース、ライブツアーなど精力的に活動中。
ポルシェマニアとして有名であり、ツアーの際にも自らの愛車を運転して日本全国を回るほどの車好きです。
廣瀬洋一 (ベース)
愛称・呼び方:HEESEY (ヒーセ)
担当:ベース
生年月日:1963年4月19日
出身地:東京都足立区
血液型:O型
キッスのジーン・シモンズを師匠と仰ぐベーシスト。
柔和な笑顔がチャームポイントでバンド内のムードメーカーでもあります。
HEESEYというステージネームは小学校の頃に担任に付けられたあだ名が由来となっています。
メタルバンド・ムルバス、16LEGSのベーシストとして活動した後、THE YELLOW MONKEYに加入。
バンド解散後は自らがベースボーカルを務めるバンド・HEESEY WITH DUDESで活動するが2005年に解散。その後はZIGGYのボーカル・森重樹一のソロ活動にサポートベーシストとして参加。2009年にはバンド・TYOを結成し活動していました。
幼少時にゴジラに洗礼を受けて以来、筋金入りの怪獣マニアとしても知られています。
既婚者であり息子は読者モデルの廣瀬誠。
たびたびブログに息子の話題が登場し、日本テレビ系「有吉反省会」に親子で出演するなど、とても仲がいいようです。
#新しいプロフィール画像 pic.twitter.com/cV2XcWCW02
— MakotoHirose (@HxRxSxMxKxT) 2017年5月14日
菊地英二 (ドラムス)
愛称・呼び方:ANNIE (アニー)
担当:ドラムス
生年月日:1967年6月6日
出身地:東京都八王子市
血液型:O型
影響を受けたアーティスト:コージー・パウエル、ジョーイ・クレイマー(エアロスミス)
パワフルで堅実なリズムでバンドを支えるドラマー。
ANNIEというステージネームは当時ミーティングに使っていたファミレス・アニーズが由来と言われています。
1986年、実兄・菊地英昭と共にバンド・KILLER MAYでデビューするが1989年に解散。
吉井に誘われTHE YELLOW MONKEYに加入。その後実兄も加入し、兄弟そろって2度目のデビューを果たしました。
バンド解散後は吉川晃司や河村隆一のサポートを務め、2008年にはAnchang(SEX MACHINEGUNS)、NATCHIN(SIAM SHADE)とバンド・BIG BITESを結成。その活動と並行して足立祐二(DEAD END)など数多くのミュージシャンとのセッションなど、ドラマーとして精力的に活動中。
1999年に当時秋田放送のアナウンサーだった太田真希と結婚しています。
脱退した元メンバー
松尾賢一 (ボーカル)
担当:ボーカル
結成時のメンバー。
1989年、吉井との「音楽的な意見の食い違い」が原因で脱退しました。
脱退後はグラムロックバンド・GLANEY TAKE ・the・TRIPPのボーカルとして活動。
サポートメンバー
三国義貴 (キーボード)
担当:キーボード
生年月日:1955年7月23日
出身地:北海道札幌市
ANTHEMやRED WARRIORSのサポートを務め、1994年からTHE YELLOW MONKEYのライブ、レコーディングにサポートとして参加。
元ANTHEMのドラマー・本間大嗣は従兄弟にあたる。
鶴谷崇 (キーボード)
担当:キーボード
生年月日:1970年11月17日
出身地:兵庫県神戸市
1999年にバンド・Mery-go-aroundのキーボーディストとしてデビュー。
2002年の活動休止後は矢井田瞳、吉井和哉などのサポートを務める。
2016年よりTHE YELLOW MONKEYにサポートとして参加。
まとめ
以上、THE YELLOW MONKEYのメンバーをご紹介させて頂きました。
バンドの中心人物であるボーカル・吉井和哉、車好きのギター・菊地英昭、バンドのムードメーカーであるベース・廣瀬洋一、堅実なリズムでバンドを支えるドラムス・菊地英二の4人で構成されるTHE YELLOW MONKEY。
彼らは2016年に再結成してからは新曲のリリース、ライブツアーの開催、過去の楽曲を再録したベストアルバムのリリースなど精力的に活動を展開し、テレビや雑誌でのインタビューからはバンド内の状態がとても良いことが強く伝わってきます。
ライブのMCで語られた吉井の「THE YELLOW MONKEYは生涯解散することはありません」という言葉からは強い説得力を感じることが出来ますね。
これからもファンを楽しませてくれること間違いなしのTHE YELLOW MONKEYから目が離せません!
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